仏の座
ホトケノザ
文化と芸術が交差し未来(あす)へとつなぐ
人々が穏やかに集い、学び、明日へとつなぐ
野に咲くホトケノザのようにやわらかくあたたかい場でありたい
また、仏の座のように
文化芸術の礎となるように。
そんな想いをこめて
「ほとけのざ」
にいたしました。
Message
ごあいさつ
このたび文化コミュニティーフォーラム”ほとけのざ”のプロデューサーをお引き受けすることになりました多摩美術大学の青木淳(あおきあつし)です。
私もいつの間にか今年の3月に還暦を迎えました。
振り返ると、研究者としてどれほどの足跡を残せたのか、どれほどのものを書いたのか(恥をかいたのか)、いずれにせよそのすべてが走馬灯のように思い出されます。
23歳で中学校の非常勤講師を(なんと美術科)させていただきながら大学院に通いました。以来約40年恥ずかしながら教壇に立って参りました。その後、梅原猛先生が所長をされていた時期に京都の国際日本文化研究センターに開設された総合研究大学院大学にかよい、一生好きな研究だけしたいと思っていましたが、気づかずに学位論文を書いてしまい学生生活にピリオドを打つことになりました。学生証がなくなったことで、世間の寒風を少しばかり経験したものの、1999年に高知の県立女子大学の教員に仲間入りさせていただきました。
はじめに美術史の手ほどきを受けた和光大学の宮川寅雄先生や武者小路穰先生の影響で岡倉天心や地方仏に触れはじめ、佛教大学で仏教史を伊藤唯真先生(現在、知恩院門跡・浄土門主)、国際日本文化研究センターで山折哲雄先生・村井康彦先生について学びました。いつしか、こんなスタイル(体型ではなく)の研究者になっていました。その後、子供の頃から可愛がっていただいた画家の宮崎進先生(1922~2018)にお声がけいただき、東京の多摩美術大学へやってきました。そうした中で、さまざまな優れた(不思議な)研究者の方たちに出会いました。新たな出会いはわたしにとって一番楽しかったことであり、無二の財産でもあります。
今回、”ほとけのざ”というコミュニティサロンを、友人たちと立ち上げることにしました。ここでは美術史や仏教の思想や歴史、美術、音楽、医療(薬学)、ジャーナリズムそしてわたしが気になるのがこれからの子供たちの教育などの問題について、学び、語り合える場所を作れないものかという思いがあったからです。
ここは、さまざまな境遇や立場を越えて、人々が穏やかに集い、感じ、学び合う場でありたいと思っています。またここ数年来「非公開寺院探訪」と名付けて普段は出会えない寺院を訪ね、仏像に会いに行く旅、国内外の祭りや文化に触れる旅をこの”ほとけのざ”で継続したいと思います。
ぜひ、お時間のございます時に、この”ほとけのざ”にお運びくださいださい。